手のひら日記

【コーリングのときどき手のひら日記】2024.10.23 当たり前のことなんてないと思います。

子どもには
ある年齢に達すると
学校という【学び】の場が提供される。
そして、
その環境で日々【学び】と向き合う。

これは、
全ての子どもに等しく与えられた「宝もの」のような権利だけれど、
我が家のムスコたちを見るにつけ、令和の今、
その価値に心を震わせ感謝をしつつ、その恩恵を余すところなく受け取り続ける、なんてことはかなりの難易度なんだよなぁ…と感じる。

かく言う私も、
昭和→平成と駆け抜けた【学び】の日々を振り返るにつけ、
「ありがたみ」に心を震わせその機会を受け取っていた…とは、口が裂けても言えない。
それどころか、
数々の恩恵を「当たり前」とぞんざいに扱い、

「こんなの、い~らない!」

と、ポイポイ捨ててきてしまった。

未熟とはいえ、
なんてこった…。

それにしても、
この「当たり前」のベールって、ニクいやつなんだよね。

ほんとはキラキラ光輝く「宝石」なのに、
その辺の道端に落ちてる「石ころ」のように見せちゃうから。

いやはや、まんまとよ。

そんな愚か者の私も、
ポイ捨て現役のムスコたちを見ていると、

「もったいないっ!」

と思わず口出しせずにはいられなくなる。

「君たち、どれだけありがたいことか、わかってる??」

て、どの口が言っとるんじゃい!だけどね…。

だってね、
ポイ捨て先輩の私が立つ現在地は、
【学び】の場が欲しければ、
自らの手で一から全てを手繰り寄せなくてはならない。
それは、時間もお金もかかって容易じゃない。
そんなことよりも最もやっかいなのは、
身体がね、脳ミソがね、

「もう無理っす……」

と、すぐに悲鳴をあげてくることっ!!

とにもかくにも、
大人の【学び】は骨が折れるわけよ。

でも、
そんなに手こずりながらも、
それでも【学び】へ「手」を伸ばし続けるのであれば、
逆にそれは、どうしても「手」に入れなくてはならないものなんだよなという、確信にもつながる。
そして、その確信は力となってヘコたれそうになる私を支えてくれる。

かつての私にはなくて、
今の私にあるもの。

それは、
具体的に手に入れたい「モノ」があって、
それの明確な「使い道」があるってことかな。

だから、
すぐに息切れするし、
すぐに忘れてしまうけど、
ジタバタしながら
しぶとく「手」をのばすのだ!!

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